2011年01月26日
蓮池藩の飛び地!?

嬉野市塩田津伝統的建造物群保存地区(旧長崎街道沿いの景観)
先日より、いくつかブログで紹介した 『藩境のまちづくりを考える会』の記事の中で、
前回より、 「まちづくり塾」 なるものが開催されていて。
第1回 「町並みの価値を再認識」(H22年12月21日開催) より参加してます♪
今回はその 「まちづくり塾」 の第2回目だったのですが、
大変 充実した内容だったのではないかと・・・♪
「まちづくり塾」 第2回 「先進地の事例発表」
伝統的建造物群保存地区5年目の塩田津から、嬉野市役所 小野さんによる報告会
日時 : 平成23年 1月22日(土) PM7:30~
場所 : 小保公民館
と言うことで、いつもの所でいつものように・・・、始まりました♪
まづは、その内容に行く前に、この長ったらしい言葉の説明をちょろっと!
伝統的建造物群保存地区 (文化庁のページより)
昭和50年の文化財保護法の改正によって伝統的建造物群保存地区の制度が発足し,城下町,宿場町,門前町など全国各地に残る歴史的な集落・町並みの保存が図られるようになりました。市町村は,伝統的建造物群保存地区を決定し,地区内の保存事業を計画的に進めるため,保存条例に基づき保存計画を定めます。国は市町村からの申出を受けて,我が国にとって価値が高いと判断したものを重要伝統的建造物群保存地区に選定します。
市町村の保存・活用の取組みに対し,文化庁や都道府県教育委員会は指導・助言を行い,また,市町村が行う修理・修景事業,防災設備の設置事業,案内板の設置事業等に対して補助し,税制優遇措置を設ける等の支援を行っています。
平成22年12月24日現在,重要伝統的建造物群保存地区は,75市町村で88地区(合計面積約3,266ha)あり,約16,512件の伝統的建造物が保存すべき建造物として特定されています。
面倒な方は、パスして結構です♪
『先人が遺してくれた塩田津・ら・し・さ』 と銘打って、
嬉野市 教育委員会 社会教育課 文化財グループ 小野 将史さん
この塩田で伝統的建造物群保存地区に指定されて5年目、そしてこの壮大な
事業に携わって、はや10年近くの地道な作業の中身とは・・・、>>>
宮崎会長あいさつ お決まりの“御唱和” 貴講師“小野将史”
って言う、段取りで始まりました♪ 最初は緊張気味の小野氏でしたが、しゃべってるうちに調子がでたのか? そのまま最後まで突っ走りましたね~♪ 一時間半ほどの構成でしたが、 『中身』 の濃いさは 圧巻でしたね~♪ あなたにも見せたかったー♪(あなたって誰?)
その、 濃いい~ 『中身』 の一部を抜粋して・・・、ご案内します♪
『先人が遺してくれた塩田津らしさ』
1、 嬉野市塩田津伝統的建造物群保存地区の概要
嬉野市塩田津伝統的建造物群保存地区は、佐賀県の南西部、町の中央を流れて有明海に注ぐ塩田川とその支流が作り出した平野部に位置し、旧塩田川と旧長崎街道に沿って広がる約12.8haの地域である。
保存地区は、
「山沿いの景観」 ・ 「旧長崎街道沿いの景観」 ・ 「旧塩田川沿いの景観」
と言う 三つの要素から 構成されている・・・。 と言うことでした♪
そして、なんとここ塩田は 江戸時代の寛永16年(1639)に、蓮池藩の “飛び地” として領地に組み入れられ、頭人役所や上使屋が置かれ、蓮池藩における西目統治の拠点であった。また、これに加えて町は長崎街道の宿場としても栄え、さらに有明海からの川港としての機能も持ち合わせたことから、この一帯を「塩田津」と呼び、陶磁器などの物資や人が行き交い、肥前国南西部における物流の要衝として大いに繁栄した。
しかし、その後 戦後の生活様式や輸送形態の多様化により大きく変化したお陰か?町並みがそのままの形で今に残ったのか?
途中ですが、 このあとは後日・・・ 付け加えるとして!
平成23年1月29日、 重要文化財 西岡家住宅 がお披露目会!
今でも千代田町には城島町の飛び地(浮島地区)がありますね